秋北バス事件
(最高裁昭和43年12月25日大法廷判決)
就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるとした。また、新たな就業規則の作成又は変更によって、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、合理的なものであるかぎり、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないとした。
【事案の概要】
会社Yは、就業規則を変更し、これまでの定年制度を改正して、Xら主任以上の職にある者の定年を55歳に定めた(一般従業員については50歳)。このため、それまで定年制の適用のなかったXらは定年制の対象となり、解雇通知を受けた。
元来、「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」(労働基準法2条1項)が、多数の労働者を使用する近代企業においては、労働条件は、経営上の要請に基づき、統一的かつ画一的に決定され、労働者は、経営主体が定める契約内容の定型に従って、附従的に契約を締結せざるを得ない立場に立たされるのが実情であり、この労働条件を定型的に定めた就業規則は、一種の社会的規範としての性質を有するだけでなく、それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至っている(民法92条参照)ものということができる。
そして、労働基準法は、右のような実態を前提として、後見的・監督的立場に立って、就業規則に関する規制と監督に関する定めをしているのである。すなわち、同法は、一定数の労働者を使用する使用者に対して、就業規則の作成を義務づける(89条)とともに、就業規則の作成・変更に当たり、労働者側の意見を聴き、その意見書を添付して所轄行政庁に就業規則を届け出で(90条参照)、かつ、労働者に周知させる方法を講ずる(106条1項、なお、15条参照)義務を課し、制裁規定の内容についても一定の制限を設け(91条参照)、しかも、就業規則は、法令又は当該事業場について適用される労働協約に反してはならず、行政庁は法令又は労働協約に抵触する就業規則の変更を命ずることができる(92条)ものとしているのである。これらの定めは、いずれも、社会的規範たるにとどまらず、法的規範として拘束力を有するに至っている就業規則の実態に鑑み、その内容を合理的なものとするために必要な監督的規制にほかならない。
右に説示したように、就業規則は、当該事業場内での社会的規範たるにとどまらず、法的規範としての性質を認められるに至っているものと解すべきであるから、当該事業場の労働者は、就業規則の存在および内容を現実に知っていると否とにかかわらず、また、これに対して個別的に同意を与えたかどうかを問わず、当然に、その適用を受けるものというべきである。
新たな就業規則の作成又は変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないと解すべきであり、これに対する不服は、団体交渉等の正当な手続による改善に待つほかない。停年制は、〈中略〉人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化のために行われるものであって、一般的にいって、不合理な制度ということはできない。また、本件就業規則については、新たに設けられた55歳という停年は、産業界の実情に照らし、かつ、Y会社の一般職種の労働者の停年が50歳と定められていることとの比較権衡からいっても、低きに失するともいえない。しかも、本件就業規則条項は、停年に達したことによって自動的に退職するいわゆる「停年退職」制を定めたものではなく、停年に達したことを理由として解雇するいわゆる「停年解雇」制を定めたものと解すべきであり、同条項に基づく解雇は、労働基準法第20条所定の解雇の制限に服すべきものである。さらに、本件就業規則条項には、必ずしも十分とはいえないにしても、再雇用の特則が設けられ、同条項を一律に適用することによって生ずる過酷な結果を緩和する道が開かれているのである。しかも、原審の確定した事実によれば、現にXらに対しても引き続き嘱託として、採用する旨の再雇用の意思表示がなされており、また、Xら中堅幹部をもって組織する「輪心会」の会員の多くは、本件就業規則条項の制定後、同条項は、後進に譲るためのやむを得ないものであるとして、これを認めている、というのである。以上の事実を総合考慮すれば、本件就業規則条項は、決して不合理なものということはできず、同条項制定後、直ちに同条項の適用によって解雇されることになる労働者に対する関係において、Y会社がかような規定を設けたことをもって、信義則違反ないし権利濫用と認めることもできないから、Xは、本件就業規則条項の適用を拒否することができないものといわなければならない。
法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。
解説:法令中の公の秩序に関しない規定(いわゆる任意規定)と異なる慣習がある場合、法律行為の当事者がその慣習による意思があったと認められる事情があるときは、その慣習が優先します。